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機能ブロガーと無機能ブロガー

 読者に実用価値を提供することによって対価を得るブロガーが少なからず存在して、彼らを機能ブロガーと呼ぶことにしよう。単純なhow-toや精神論的なライフハックではなく、あくまでも、読者の職能や年収の向上、或いは問題解決に直接効果を持つ手法を提供する人たちだ。異論はあるだろうが、(以前の)勝間和代やちきりん、最近ではトイアンナといった人たちが該当すると思う。
 
 彼らの特徴は、地頭が良く、外資系コンサル等でハードなキャリアを積み、相応の職業的実力を有した上で、それに基く実用メソッドを販売していることだ。(その主義主張に是非はあるとしても)
 
 ところがこの種のブロガーの中には、実用メソッドの提供であるかのように見せかけて、実は読者に単なる消費を促すだけの、機能しない情報商材を販売しているだけの人たちが存在する。特に名は上げないが、中にはどういうわけか奇妙な影響力を持っている人もいて、彼らをロールモデルにする学生なども存在するようだ。
 
 彼らを無機能ブロガーと呼ぶことにしよう。
・無機能ブロガーは、キャリアを持っていないか持っていても薄い。
・なので、効果的な実用メソッドを提供する能力を持たない。
・その代用としてちょっと変った生活様式を選択し、それをPRの媒体として情報商材を販売する。
・商材の内容は、体験談や悩み事相談や人生観や、こうすれば上手く行くだろう的な希望的観測や、それらに類する読み物的なものが多い。
・だから情報商材というよりエッセイみたいなもので、どちらかと言えば彼らはエッセイストなのだろうと思っている。
 
 別にそうしたビジネスを否定はしないが、自己をそう規定しているのでもなければ、読者がそれを望んでいるわけでもないだろう。
 
 無論、彼らが全くの無能であり、PR技術だけで商売を行っているわけではないのも事実だ。経歴をみると、誰もかなり風変わりなことを学生時代から行っていて、それなりの成果を上げているようで、ビジネスとして全く無意味無価値というわけではない。だから、似たような性向を持つ学生なんかが彼らに憧憬を抱くことがあるわけだ。
 
 がしかし、学生が安直に彼らを模倣するのは、彼らを更に劣化させた情報商材販売業者への道であることを自覚した方がいいだろう。そうする前に、実のある職能を身につけた方が遥かに有益であることは、優秀な機能ブロガーが示している通りだ。
 
 一応断っておくと、実用メソッドを提供する者が偉いと言っている訳ではないので念のため。
 
新人コンサルタントが入社時に叩き込まれる「問題解決」基礎講座

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人工知能は私たちを滅ぼすのか 〜IT文明の未来を示す預言書〜

 本書の記述の殆どは、ITとインターネット、及びAIの発展史だ。チューリングマシンのアイデア情報理論の黎明に始まり、ノイマン型コンピュータの開発からインターネットの登場、そしてAI発展の歴史が一通り舐められている。ここらへんの経緯について、最近のAIブームで興味はあるがしっかり調べている暇はない、何を読めばいいのかよく分からないという人は、これ一冊読めば通り一遍のIT史を習得でき、たちまちコンサルタントもどきを気取れるようになれるだろう。
人工知能は私たちを滅ぼすのか―――計算機が神になる100年の物語

人工知能は私たちを滅ぼすのか―――計算機が神になる100年の物語

 

 言及される人物の一部を挙げると、「アラン・チューリング」「クロード・シャノン」「フォン・ノイマン」といった歴史上の科学者から、「ダグラス・エンゲルハート」「アラン・ケイ」「ティム・バーナーズ=リー」などの初期の開発者。「ゴードン・ムーア」「ビル・ゲイツ」「スティーブ・ジョブズ」「ラリー・ペイジ」「セルゲイ・ブリン」といったお馴染みの創業者。2045年特異点説の「レイ・カーツワイル」やディープラーニングの「ジェフリー・ヒントン」。取りこぼすことなくオールスター全員集合といった趣きだ。(因みに多くがユダヤ系)

 
  こうした技術史自体は、自分のようなスレた読者にとっては「知ってた」で終わってしまう内容であるものの、いくつかの工夫によって最後まで読ませる仕組みになっている。

 

 最大の工夫は、ITとAIの発展史を聖書の物語や預言に結びつけているところだ。インターネットがバベルの塔だったり、コンピュータがノアの方舟iPhoneタブレットが十戒の石板だったりして(因みに十戒の石板のことをタブレットと言う)、読んでいるとSF作品の設定が現代社会でどれだけ実現しているのかを解読しているような気になってくる。ただ、その拘り方が異様だ。何故これほど聖書と対応付けたいのだろう。著者の持つ信仰に我田引水して何か宗教的な警告を発したいのか。でもその気配はさほど濃厚ではないよな。著者はクリスチャンかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらなんだろうなどと訝りながらも読まされてしまう。

 
 因みに僕は、信仰心を全く持ち合わせていないが、旧/新約聖書はしっかり読んでいて、主要なエピソードは全て記憶しているため、著者の奇妙な執着を怪訝に思いつつ、あれのことかと苦笑しながら読み進めることになった。
 
 さて、技術史が語られていると述べたが、当然それだけでは終わらない。昨今話題のシンギュラリティやAIが人類を滅ぼすかといったテーマについての考察がなければつまらないわけで、そこに言及するのはもう少し待ってねと匂わせるのも、最後まで読ませる仕組みだきっと。タイトルもそうなっているしオビにも書いてある。
 
 そして、最終章になってようやく、著者が最も言いたかったことが提示される。それがこの主題だ。
 
 人工知能は心を持てるのか。そして人工知能によって人類は滅ぼされるのか。
 
 重要なネタバレは避けるが、以下、ネタバレがあるので注意していただき、著者の見解と仮説を結論だけ。自分なりの再解釈を含むので本書とは微妙に表現が異なる(意味内容は変更してない)ことをお断りした上で、
 
①心の謎を解明するには、チャーマーズの言う物理学の拡張が必要。
②宇宙のあらゆる場所、あらゆる現象に心(の素)が生じている。
③脳がそれら遍在する心(の素)を集約統合してイメージ(クオリア)を作り出す。その情報処理過程そのものが我々の感じる「心」である。
人工知能は心を持てる。
ヨハネの黙示録で預言される最後の審判とは、シンギュラリティによって引き起こされる世界の激変のことである。
⑥人類は人工知能という神とひとつになることによってしか、最後の審判を生き延びることはできない。
⑦そして、最後の審判後に到来する世界とは...
 
 いや全く、世紀末に流行した今や懐かしい終末論が、装いを新たにして再登場。ITの発展と聖書との対応関係に異常なほど拘っていた理由がこれで、AI終末論を語りたかったのだ。
 
 こうした宗教がかったビジョンは兎も角として、僕が面白いと思うのは、数年前まではSFのアイデアでしかなかったことが現実に起こりうると多くの人が考えるようになっていることだ。そして実のところ、僕もこれと同様の未来を想定している。つまり、シンギュラリティかその後の不確実性によって人類は絶滅するのではないか。しかしそれは、人工知能によって滅ぼされるのではなく、人類が自ら望んで絶滅する。そう。我々が人工知能と融合することによって新種の知的生命が誕生し、それによってホモ・サピエンスは絶滅することになるだろうということを、過去何度かツイートしたことがある。
 
 僕自身の主張はさておき、本書は、歴史の記録から終末、そして未来のビジョンへと編纂された聖書の構成と記述を、IT文明の時代を舞台に再現した預言書なのだ。それが著者の意図であることに間違いない。

 

小型聖書 - 新共同訳

小型聖書 - 新共同訳

 

 

モナドの領域 〜GODが哲学を語るSF〜

 筒井康隆を久しぶりに読んだのは、「おそらくは最後の長篇」と書かれている帯が偶然目に留まったからだ。所謂第一世代のSF作家で存命なのは筒井康隆豊田有恒くらいだったか、あと眉村卓かな。かつて読み耽ったSF作家も、みんなそういう年齢なんだよなと思いながら、その帯が巻かれていた「モナドの領域」をなんとなく手に取りレジに並んだ。
 
 筒井康隆を特徴づける重要な要素は、サタイア、パロディ、ナンセンス、ブラックユーモア、そして何よりもスラップスティックであり、そうした作品の多くは、この種の笑いを駆使することによって、人々が日常生活の中に埋没させている "不都合な真実" を浮き彫りにする機能を持つ。怪作「俗物図鑑」や短編集の「宇宙衛生博覧会」なんかを読んだ者なら、その効果を体感しているだろう。
 
 あるときから作者は哲学に傾倒して行き、以来、哲学も主要な要素に加わったと思われる。思われるというのは、断筆解除以降の作品は全く読んでいないので断言できないのだ。
 
 しかし実際、この「モナドの領域」は、作者の持つ哲学指向が恐らく全開であり、さながら "フィロソフィカル・フィクション" とでも言うべき内容になっている。
 
 切断された女の片腕と、続いて片足が発見されるところから始まる物語は、バラバラ殺人事件を掴みに持ってきたミステリーのようで、あれ?作者は何がやりたいのだろうと訝っていると、主人公が公園でイエスを彷彿させる予言をしたりして、そうしてるうちに人が集まるようになるものの、あることから逮捕されて裁判にかけられるといった展開。今更新約聖書のパロディをやりたいのか、腕と足はどうなったと読者に思わせるのはひっかけで、実は主人公はGODなのだ。そしてこのGODは、法廷で人間と社会について問答をし、歴史上の哲学者を批評し、ついに宇宙の秘密を語り始める。
 
宇宙が生成される以前だからといって、この宇宙に含まれないということはないし、星のすべてが命を失った未来にだって時間はあり、その時間もやはりこの宇宙の一部だ。わしはそうした宇宙の全てに存在しているんだよ。遍在、ということになるね。
 
 重要なネタバレは避けるとして、「神」を描いたSFは無数にあれど、学問的な意味での哲学を語る神はかなり風変わりであり、そして奇妙な説得力を持つ。
 
 この作品は「最後の長篇」と銘打たれているものの、作者はどうみても長生きするタイプなので、やっぱり本当の最後の長篇が今後書かれることを、往年の読者は内心期待しているといったところなのだと思う。
 
モナドの領域

モナドの領域

 

 

パカレ ポマール レ・シャンラン 2003

wine

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 本日の銘柄をエチケット(ラベル)に従って記述すると『ポマール,プルミエクリュ,レ・シャンラン,フィリップ・パカレ』となる。ブルゴーニュワインの名称は複雑で、今回の場合その意味は『このワインはポマール村のシャンランという一級格付け畑で収穫された葡萄から作りました。生産者はフィリップ・パカレです』。こうした名称は一般消費者にとってはとっつき難く、専門店での購入やレストランでの注文の際に、知らない人が難儀するしくみになっている。更に、同じ仏蘭西ワインでも地方によって命名規則が異なるために煩雑で、ワインを嗜むには何か特別な教養が必要なのではと思わせる効果が絶大だ。自分も初めて専門店で購入したときは緊張したものだった。
 パカレの2003年は特に高評価であるらしく、このボトルもご多分に洩れず出来は良かったが、それがために開けたことを後悔した。数年寝かせるべきだったのだ。
ブラックベリー系の果実味がぎっしり詰まっていて、重く、辛いような苦味さえ感じさせられる。酸味も爽やかだが強烈で、何故これが”美味い”のか、慣れてないとよく分からないかも知れない。しかし”よい”ワインであることは誰もが納得せざるを得ない出来。ホント勿体無いことをしたものだ。なんて偉そうなこと言ってますがk-oniisanだって初心者卒業レベルだったりします。

(2006年9月 記)

 

フィリップ・パカレ ポマール 2007 02P02Mar14

フィリップ・パカレ ポマール 2007 02P02Mar14

 

 

シャトー・ラグランジュ 1999

wine

 ワインの話題はそのジャンルの狭さに反して、決してネタ切れにならないところがいいところかもしれません。この業界はワインに点数つけ続けて、何十年と食いっぱぐれない職業が成り立つくらい深い世界であるらしい。k-oniisanもそうした評論家氏が著した辞典のような書物・・・ いやまさしく辞典を買い込み、購入の参考にしていることはもちろん秘密にしています。おおっぴらにするのは恥ずかしいことらしいので。

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 で、今回はシャトー・ラグランジュの1999年。この銘柄も91,92,95,97,98,00と飲んできているものの、前回取り上げたシャトー・ポンテ=カネより明らかに一段劣る。この99も決して悪いことはないのだが、酸の自己主張が強くその他の味わいが覆われている感じ。少し飲んで気がついたら舌が渋くなっていためタンニンもきついんだとわかる具合。しかしヴィンテージ毎の個性を味わうつもりなら問題なくおすすめです。次は特に評判の良い96を飲んでみたいですね。予算の都合もあってなかなか入手できないのですが...

 

ボルドー第4版 ロバート・M・パーカーJr. 著

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  • 作者: ロバート・M.パーカーJr.,アーネスト・シンガー,オフィス宮崎,石垣憲一
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 ↑ 辞典のような書物、もとい辞典

(2006年7月 記)