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モナドの領域 〜GODが哲学を語るSF〜

 筒井康隆を久しぶりに読んだのは、「おそらくは最後の長篇」と書かれている帯が偶然目に留まったからだ。所謂第一世代のSF作家で存命なのは筒井康隆豊田有恒くらいだったか、あと眉村卓かな。かつて読み耽ったSF作家も、みんなそういう年齢なんだよなと思いながら、その帯が巻かれていた「モナドの領域」をなんとなく手に取りレジに並んだ。
 
 筒井康隆を特徴づける重要な要素は、サタイア、パロディ、ナンセンス、ブラックユーモア、そして何よりもスラップスティックであり、そうした作品の多くは、この種の笑いを駆使することによって、人々が日常生活の中に埋没させている "不都合な真実" を浮き彫りにする機能を持つ。怪作「俗物図鑑」や短編集の「宇宙衛生博覧会」なんかを読んだ者なら、その効果を体感しているだろう。
 
 あるときから作者は哲学に傾倒して行き、以来、哲学も主要な要素に加わったと思われる。思われるというのは、断筆解除以降の作品は全く読んでいないので断言できないのだ。
 
 しかし実際、この「モナドの領域」は、作者の持つ哲学指向が恐らく全開であり、さながら "フィロソフィカル・フィクション" とでも言うべき内容になっている。
 
 切断された女の片腕と、続いて片足が発見されるところから始まる物語は、バラバラ殺人事件を掴みに持ってきたミステリーのようで、あれ?作者は何がやりたいのだろうと訝っていると、主人公が公園でイエスを彷彿させる予言をしたりして、そうしてるうちに人が集まるようになるものの、あることから逮捕されて裁判にかけられるといった展開。今更新約聖書のパロディをやりたいのか、腕と足はどうなったと読者に思わせるのはひっかけで、実は主人公はGODなのだ。そしてこのGODは、法廷で人間と社会について問答をし、歴史上の哲学者を批評し、ついに宇宙の秘密を語り始める。
 
宇宙が生成される以前だからといって、この宇宙に含まれないということはないし、星のすべてが命を失った未来にだって時間はあり、その時間もやはりこの宇宙の一部だ。わしはそうした宇宙の全てに存在しているんだよ。遍在、ということになるね。
 
 重要なネタバレは避けるとして、「神」を描いたSFは無数にあれど、学問的な意味での哲学を語る神はかなり風変わりであり、そして奇妙な説得力を持つ。
 
 この作品は「最後の長篇」と銘打たれているものの、作者はどうみても長生きするタイプなので、やっぱり本当の最後の長篇が今後書かれることを、往年の読者は内心期待しているといったところなのだと思う。
 
モナドの領域

モナドの領域