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人工知能は私たちを滅ぼすのか 〜IT文明の未来を示す預言書〜

 本書の記述の殆どは、ITとインターネット、及びAIの発展史だ。チューリングマシンのアイデア情報理論の黎明に始まり、ノイマン型コンピュータの開発からインターネットの登場、そしてAI発展の歴史が一通り舐められている。ここらへんの経緯について、最近のAIブームで興味はあるがしっかり調べている暇はない、何を読めばいいのかよく分からないという人は、これ一冊読めば通り一遍のIT史を習得でき、たちまちコンサルタントもどきを気取れるようになれるだろう。
人工知能は私たちを滅ぼすのか―――計算機が神になる100年の物語

人工知能は私たちを滅ぼすのか―――計算機が神になる100年の物語

 

 言及される人物の一部を挙げると、「アラン・チューリング」「クロード・シャノン」「フォン・ノイマン」といった歴史上の科学者から、「ダグラス・エンゲルハート」「アラン・ケイ」「ティム・バーナーズ=リー」などの初期の開発者。「ゴードン・ムーア」「ビル・ゲイツ」「スティーブ・ジョブズ」「ラリー・ペイジ」「セルゲイ・ブリン」といったお馴染みの創業者。2045年特異点説の「レイ・カーツワイル」やディープラーニングの「ジェフリー・ヒントン」。取りこぼすことなくオールスター全員集合といった趣きだ。(因みに多くがユダヤ系)

 
  こうした技術史自体は、自分のようなスレた読者にとっては「知ってた」で終わってしまう内容であるものの、いくつかの工夫によって最後まで読ませる仕組みになっている。

 

 最大の工夫は、ITとAIの発展史を聖書の物語や預言に結びつけているところだ。インターネットがバベルの塔だったり、コンピュータがノアの方舟iPhoneタブレットが十戒の石板だったりして(因みに十戒の石板のことをタブレットと言う)、読んでいるとSF作品の設定が現代社会でどれだけ実現しているのかを解読しているような気になってくる。ただ、その拘り方が異様だ。何故これほど聖書と対応付けたいのだろう。著者の持つ信仰に我田引水して何か宗教的な警告を発したいのか。でもその気配はさほど濃厚ではないよな。著者はクリスチャンかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらなんだろうなどと訝りながらも読まされてしまう。

 
 因みに僕は、信仰心を全く持ち合わせていないが、旧/新約聖書はしっかり読んでいて、主要なエピソードは全て記憶しているため、著者の奇妙な執着を怪訝に思いつつ、あれのことかと苦笑しながら読み進めることになった。
 
 さて、技術史が語られていると述べたが、当然それだけでは終わらない。昨今話題のシンギュラリティやAIが人類を滅ぼすかといったテーマについての考察がなければつまらないわけで、そこに言及するのはもう少し待ってねと匂わせるのも、最後まで読ませる仕組みだきっと。タイトルもそうなっているしオビにも書いてある。
 
 そして、最終章になってようやく、著者が最も言いたかったことが提示される。それがこの主題だ。
 
 人工知能は心を持てるのか。そして人工知能によって人類は滅ぼされるのか。
 
 重要なネタバレは避けるが、以下、ネタバレがあるので注意していただき、著者の見解と仮説を結論だけ。自分なりの再解釈を含むので本書とは微妙に表現が異なる(意味内容は変更してない)ことをお断りした上で、
 
①心の謎を解明するには、チャーマーズの言う物理学の拡張が必要。
②宇宙のあらゆる場所、あらゆる現象に心(の素)が生じている。
③脳がそれら遍在する心(の素)を集約統合してイメージ(クオリア)を作り出す。その情報処理過程そのものが我々の感じる「心」である。
人工知能は心を持てる。
ヨハネの黙示録で預言される最後の審判とは、シンギュラリティによって引き起こされる世界の激変のことである。
⑥人類は人工知能という神とひとつになることによってしか、最後の審判を生き延びることはできない。
⑦そして、最後の審判後に到来する世界とは...
 
 いや全く、世紀末に流行した今や懐かしい終末論が、装いを新たにして再登場。ITの発展と聖書との対応関係に異常なほど拘っていた理由がこれで、AI終末論を語りたかったのだ。
 
 こうした宗教がかったビジョンは兎も角として、僕が面白いと思うのは、数年前まではSFのアイデアでしかなかったことが現実に起こりうると多くの人が考えるようになっていることだ。そして実のところ、僕もこれと同様の未来を想定している。つまり、シンギュラリティかその後の不確実性によって人類は絶滅するのではないか。しかしそれは、人工知能によって滅ぼされるのではなく、人類が自ら望んで絶滅する。そう。我々が人工知能と融合することによって新種の知的生命が誕生し、それによってホモ・サピエンスは絶滅することになるだろうということを、過去何度かツイートしたことがある。
 
 僕自身の主張はさておき、本書は、歴史の記録から終末、そして未来のビジョンへと編纂された聖書の構成と記述を、IT文明の時代を舞台に再現した預言書なのだ。それが著者の意図であることに間違いない。

 

小型聖書 - 新共同訳

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